大判例

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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)5434号 判決

原告 財団法人代々木病院

被告 辛島重三 外一名

主文

被告栗原一夫は原告に対して次の謝罪広告を本文は八ポイント活字をもつてその他の部分は十四ポイント活字をもつて東京都内で発行される朝日新聞、毎日新聞、読売新聞及び新夕刊新聞の各紙上に各一回掲載せよ。

謝罪広告

昭和二十七年六月五日付日本夕刊新聞第二二九六号第二面トツプに掲載した貴病院に関する記事は、事実に反し貴病院に対する世人の認識を誤まらせ、貴病院の名誉を著しく傷つけ、誠に申訳ありません。よつて、ここに深く陳謝するとともに、将来、再びかような行為をしないことを誓約します。

元日本夕刊新聞社編集局長

栗原一夫

東京都渋谷区千駄ケ谷

財団法人代々木病院殿

被告栗原一夫は原告に対して金十万円及びこれに対する昭和二十七年九月七日から支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち原告と被告栗原一夫との間に生じたものは同被告の負担とし、原告と被告辛島重三との間に生じたものは原告の負担とする。

この判決は、第二項に限り原告において金三万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一、申立

原告の申立――「(一) 被告らは原告に対し連帯して左記の謝罪広告を本文及び住所は四号活字をもつてその他の部分は二号活字をもつて東京都内で発行されている朝日新聞、毎日新聞、読売新聞及び新夕刊の各紙上に五日間継続して掲載せよ。

謝罪広告

昭和二十七年六月五日付日本夕刊第二二九六号第二面トツプに掲載したる貴病院に関する記事は、全く事実に反し神聖なる医療事業に対する世人の認識を誤まらしめ貴病院の名誉を著しく毀損し、かつ信用並に業務妨害にわたり、誠に申訳ありません。よつてここに深く陳謝すると共に、将来再びかかる不法なる行為なきことを誓約いたします。

東京都港区芝浜松町一丁目三番地

日本夕刊新聞社

編集印刷発行人 辛島重三

編集局長 栗原一夫

東京都渋谷区千駄ケ谷

財団法人代々木病院殿

(二) 被告らは原告に対し連帯して金十万円及びこれに対する昭和二十七年九月七日から支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(三) 訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決及び第二項について仮執行の宣言を求める。

被告らの申立――「原告の請求を棄却する。」との判決を求める。

第二、当事者間に争のない事実

原告は診療を行う財団法人であり、日本夕刊新聞は後記の記事を掲載した当時東京都において約十万部を印刷発行する日刊新聞であつたが、法人ではなく、被告辛島がその編集印刷発行名義人であり、被告栗原がその編集局長であつた。

日本夕刊新聞昭和二十七年六月五日付第二二九六号は、その第二面の右上欄に「躍る赤い衛生兵!」「都内で一千名待機」「代々木診療所から指令を流す」「黒幕に医学界の権威」などの見出しをつけた別紙記載のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載して発行された。なお、その第一面には当時の佐藤渋谷区長のリコール問題を取り扱つた記事が掲載されていた。

第三、争点

第一点

原告の主張―― 一、原告は昭和二十三年八月二十五日低廉な診療費により一般勤労者の福利の増進をはかることを目的として設立された財団法人であつて、当初財団法人代々木診療所と称していたが、昭和二十七年八月十八日現在の名称に変更した。原告には社会保障の不十分な医療の面で大衆の福祉に貢献しようとする熱意のある進歩的な医師がいるが、原告が日本共産党の医療班のリーダーとして同党の中央指導部の指令を流すというような政治的活動をしたことはなく、いわゆる「赤い衛生兵」とはなんら関係がない。医師のうちに日本共産党員がいるとしても、それは個人の信条の問題であつて原告とは直接関係がないことであり、本件記事のうち原告に関係する他の部分もすべて原告の関知しないところであつて真実に反している。

二、本件記事は以上のとおりその内容が真実に反するばかりでなく、ことさらに原告の名誉信用を傷つけようとする意図の下に作成されている。この記事を熟読し或いは文法的に検討すれば原告だけを対象とする記事ではないということもいえようが、一般読者は決して慎重にしかも文法に則つて新聞を読むものではなく卒然と読過するのが通常であつて、その上新聞記事は直ちに読者の知識と化して他に伝わる可能性をもつものであるから、その影響するところは大きい。殊に本件記事の見出しと記事全体の取扱からみると、「赤い衛生兵が都内で一千名待機しており、その黒幕に医学界の権威が存在していて、全国的組織の下に種々の宣伝工作を行い、場合によつては細菌をばらまき国民を殺りくするという恐るべき計画をたてていること」のみでなく、「原告がそのような指令を流している」かのような印象を強く読者に植えつけようとする巧妙な効果を意図しているのであつて、本件記事は常識を逸脱した悪質なひぼお記事であるといわなければならないから、このような記事について公共性を云々することはできない。

被告らの主張―― 一、原告の主張する事実のうち原告の目的及び従業者に関する部分は知らない。本件記事の内容のうち、断定的に事実として表現した部分はすべて真実に合致するものであり、伝聞であることを明記した部分はすべて情報提供者から獲得した情報をそのまま報道したまでであつて、原告を害する意図の下に作成されたものではない。

二、新聞による名誉毀損においては、その違法性の認定に当り言論の自由との関係から特別の考慮が必要である。かつて新聞紙法第四十五条は言論の自由と名誉の保護との考量に基く違法性阻却の一場合を規定していたが、このことは敢て明文の規定を必要としない当然のことである。現行の刑法第二百三十条の二は刑事責任における同一の考慮の発現であつて、この規定を新聞紙法第四十五条と比較してみるとき違法性阻却の範囲が拡大されていることに言論の自由が強化されたことをうかがうことができる。新憲法の下においては民事責任についても言論の自由の前に名誉の保護は同一程度に後退するものというべきであつて、たとえ事実を摘示したことによつて人の名誉を毀損したとしても、その行為が公共の利害に関する事実にかかりその目的が専ら公益を図るに出たものであれば、事実が真実であることの証明があつたときは、違法性を阻却するものといわなければならない。

このことを本件記事にあてはめて考えてみると、当時社会の注目を浴びた事件に現われた赤い医療班の実体は社会全般の利害に関係のあつた事実であつて、これをできるだけ明白にすることは世人の恐怖を防ぐという公益を図る目的に合致しており、本件記事はこのことを意図して掲載されたものである。又本件記事のうち断定的に表現した部分はすべて当時日本共産党が党員の医師看護婦或いはこれらの者によつて運営される診療所の連合会を通じて行つていた活動を報道したものであり、当時原告の理事及び診療所長をしていた佐藤猛夫は日本共産党の党員であつたのみでなく民主的診療所連合会の役員として日本共産党の指令を流していたから、原告から指令を流していたという記事は真実に合致するのであり、その他原告に関する断定的な記事はすべて真実に合致している。さらに細菌戦に関する部分は赤い衛生兵一般に関する記事であつて原告を対象とする記事ではない。新聞報道の迅速性の要求、客観的真実の把握の困難、記事掲載当時と立証当時の時間的間隔などを考慮すると、事実の細部にわたつて完全に真実であることを立証する必要はなく事実の大要について真実であることを立証すれば足りると解すべきであるが、本件記事の内容は少くともこの程度に真実である。従つて仮に本件記事を掲載した新聞の発行によつて原告の名誉信用が傷つけられたとしても違法性を阻却するといわなければならない。

第二点

原告の主張―― 一、被告辛島は当時日本夕刊新聞の編集、印刷及び発行に当つていた。仮に同被告が単に日本夕刊新聞紙上に編集印刷発行名義人として表示されていたに過ぎず内部的にはそのような地位にいなかつたとしても、同被告が承諾してそのように外部に表示させていたことによつて、この表示行為を信頼して本件の訴を提起した原告に対して、表示による禁反言の法理に基き、表示と同一の責任を負わなければならない。

二、被告栗原は日本夕刊新聞の経営者であるとともに編集局長であつたから、同被告は内部的のみならず対外的にも同新聞の最高責任者であつた。

三、名誉毀損における故意は、名誉毀損となるべき事実の認識をいうのであつて、被告らは本件記事を編集しこれを掲載した新聞を発行する事実を認識していたのみでなく、前記のように原告を害する意図をもつていたのであるから、故意があつたというべきである。仮に被告らに故意がなかつたとしても重大な過失があつた。けだし、被告らはみずから本件記事の真否を調査することなく単なる聞込に基いて本件記事を作成したものであつて、情報提供者から得た情報についてもこれを採用するに当つてその真否を調査する義務があるにもかかわらず被告らはこの注意義務を怠つたために真実に反する本件記事を掲載するに至つたからである。仮に被告辛島が編集印刷発行名義人に過ぎなかつたとすれば、その表示行為の効果を不注意にも認識しなかつた点に過失があるといわなければならない。

被告らの主張―― 一、被告辛島は当時日本夕刊新聞の印刷工場の工場長として同新聞の印刷及び発送の業務に当つていたに過ぎないのであつて、本件記事の取材編集及び発行には何らの関係がない。同被告が編集印刷発行人として表示されていても、新聞紙法に存在したような特別の規定がない以上、現実に本件記事の取材編集又は発行に関与していないのであるから民事上の責任を負う理由がない。仮に編集印刷発行人として表示したことによつて責任を負うとしても、同被告は被告栗原が主張するところと同一の理由で本件記事の編集発行について故意及び過失がない。

二、名誉毀損における故意とは自己の行為によつて他人の名誉を毀損する結果の認識をいうのであるが、被告栗原は相当の客観的資料に基き真実と信じた事実及び情報提供者から獲得した情報をそのまま報道したのであつて、これを真実と信じたについては相当の理由があるから故意はないのである。又資料が客観的に見て相当であるかどうかの判断及び情報の正確性についての判断において払うべき注意義務を怠つたときに名誉毀損における過失があるというべきであるが、同被告は客観的に信用のできる資料及び情報に基き表現にも十分注意を尽して本件記事を編集したのであるから過失もない。

第三点

原告の主張―― 一、原告は本件記事を掲載した新聞の発行によつて名誉信用を著しく毀損されたから、被告らは原告に対してその名誉を回復するために適当とする謝罪広告をし、かつ、原告が被告らの不法行為によつて被つた損害を賠償する義務がある。けだし、法人も社会的に活動して名誉信用を享有しているから名誉毀損の被害者となりうることはいうまでもないところであつて、謝罪広告の外無形の損害の賠償を請求しうることは民法第七百二十三条に「損害賠償ニ代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ」と規定されていることから見ても当然である。殊に本件記事が掲載された新聞の第一面には渋谷区長リコール問題が大きく取り扱われていたためその新聞が特に渋谷区民の関心を引き大量に購読されたことは容易に察しうるところであり、原告がその所在地の関係上渋谷区居住の患者を多く扱つていたため本件記事による被害は一層甚しかつたのである。

二、そして被告らは共同して本件記事を掲載した新聞を編集して発行したことによつて共同不法行為の責任を負うものであるから、原告は被告らに対し連帯してその不法行為によつて毀損された原告の名誉信用を回復するために必要な原告の申立第一項のとおりの謝罪広告の掲載並びに無形の損害金百万円のうち金十万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十七年九月七日から支払のすむまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告らの主張―― 一、本件記事を掲載した新聞を発行したことによつて原告が無形の損害を被つたことは否認する。原告のいう無形の損害とは慰藉料のことであつて、慰藉料は被害者の精神上の苦悩感情を慰和するために給付される金銭にほかならないから、その請求者は自然意思の享有者であることを必要とする。自然意思は各自然人に固有専属するものであつて、法定代理人や法人における代表機関の自然意思をもつて本人のそれに代えることはできないから、財団法人である原告には、慰藉料の請求権はない。

二、又原告の求めている謝罪広告はその内容において原告の名誉を回復するには過分であるのみでなく、被告らの発行する新聞社の名義を用いることは許されない。

三、仮にこの主張が理由がないとしても、当時原告の理事及び診療所長をしていた佐藤猛夫は前記のように日本共産党の指令を流していた民主的診療所連合会の役員であり、原告には他にも多数の日本共産党員がいたのであつて、原告は理事及び被用者の政治活動によつて原告自体がそのような行為をしていたと見られ易い要因をもつていたから原告にも過失があるものというべく、被告らは過失相殺を主張する。

第四、証拠〈省略〉

第五、判断

第一点

一、本件記事による原告の名誉毀損の成立

(一)  本件記事を要約すると、「日本共産党の一組織として結成された赤い衛生兵は最近の騒乱事件で活躍した。日本共産党医療団の下部機構に民主的診療所連合会があり、その構成員である診療所及び医院は赤い衛生兵である医師看護婦及び薬剤師で固められている。この医療班のリーダーとして活躍し日本共産党の指令を流しているのが佐藤猛夫の主宰する代々木診療所であつて、黒幕には十数名の医学界の権威者がおり、東京都内には動員可能な赤い衛生兵が一千名近くいる。これらの赤い衛生兵のいる診療所は日本共産党員及びシンパの獲得のためにスローガンを掲げ診療所ニユースを配布し薬袋の裏に標語を印刷するなどの工作を行つている。赤い衛生兵は今後の騒乱事件において党員の救護救出作業に当る役割をもつがその中に組織されている細菌班が日本共産党のねらいである暴力革命に当つて細菌をばらまき国民を殺りくするという計画もたてており、その秘密指令まで伝達されている。」という趣旨に帰するのである。

(二)  被告らの主張するように、本件記事はその内容となる事実のすべてが直接に代々木診療所に結びつく表現がとられているわけではないが、名誉毀損による不法行為は事実を具体的に摘示する方法によつた場合に限らず、広く人の名誉が毀損される危険性を有する行為によつて成立するものであるから、本件記事によつて代々木診療所の名誉が毀損されたかどうかを決するに当つては、普通人が本件記事を読んでいかなる印象を受けるかを標準としなければならない。そして、本件記事は赤い衛生兵のいる診療所にはこのような事実があることを暗示しており、しかも、そのリーダーは、代々木診療所だとするのであるから、本件記事を見る普通人に対しては代々木診療所が暴力革命に当つて細菌をばらまき国民を殺りくする計画に関係しその他日本共産党の政治的工作のリーダーとして活躍しているかのような印象を与え、その結果公正にして完全な診療を行つているかどうかについて疑をいだかせることは容易に推察することができる。従つて本件記事を掲載した新聞の発行によつて原告(原告がもと代々木診療所と称していたが昭和二十七年八月十八日現在の名称に変更したことは被告らの明らかに争わないところである。)の名誉を毀損したことは疑問の余地がない。

二、本件記事による名誉毀損の違法性

(一)  被告らは本件記事のうち断定的に事実として表現した部分はすべて真実に合致し、伝聞であることを明記した部分は情報提供者から獲得した情報をそのまま報道したものであつて、本件記事の公表は公共の利害に関する事実にかかりその目的が専ら公益を図るに出たものであるから違法性を阻却すると抗争する。

思うに、本件記事に扱われた事柄が公共の利害に関するものであることは疑いをいれないところである。このように公共の利害に関する事実を公表することによつて他人の名誉を毀損した場合においては刑法第二百三十条の二の趣旨を類推し、その行為が専ら公益を計る目的によつてされたものであり、しかも公表された事実が真実であることが証明されたときは違法性を阻却し、不法行為の責任を負わないものと解するのが相当である。そこで、以下本件記事が真実に合致するかどうかについて考察を加える。

(二)  もつとも、被告らは伝聞であることを明記した部分については情報提供者から獲得した情報をそのまま報道したことにより違法性を欠くように主張するものの如くである。しかしながら、この見解は採用することができない。本件記事には多くの箇所に「といわれている」「当局は言つている」などの表現がとられており、これによつて伝聞又は風聞である趣旨を示すものとみられるが、事実を伝聞又は風聞として表現した場合においても、その内容である事実について違法性阻却の要件の有無を判断しなければならない。けだし、一定の具体的事実をみずから見聞し又は取材した事実として表現しようと、他人から伝聞した事実として表現しようと或は風聞として表現しようと、他人にその事実の存在を認識させる結果としては異るところがなく伝聞又は風聞の出所を表示したとき特にその出所が権威あるものであればみずから見聞し又は取材した事実として報道した場合よりもかえつて真実らしい印象を与えることにもなるからである。

(三)  ところで、新聞記事の真実性を立証するにあたつては、被告らの主張するように新聞報道の迅速性の要求、客観的真実の把握の困難等の事情から考えて、表示された事実が細大もらさず真実であることの立証を要求することは酷に失するものと考えられる。従つて、その主要な部分において真実であることを立証すれば足りるものと解すべきである。

そこで本件記事によつて代々木診療所に関係ありとされる事実がこの意味において真実であるかどうかを考えてみると、成立に争のない甲第一号証、原本の存在及び成立に争のない乙第一号証から第三号証まで、同第五号証及び同第七号証と証人真島民雄、森田しげの、後藤励蔵、佐藤猛夫、立石信郎の各証言及び被告栗原一夫本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  昭和二十七年五月頃日本夕刊新聞の経営者の一人であると同時に編集局長の地位にあつた被告栗原は同新聞の警視庁詰の取材記者であつた真島民雄に対して当時他の新聞にもしばしば報道されていた日本共産党の医療班の活動を関係当局から取材するように命じた。そこで、真島は特別審査局、警視庁、国家警察本部などに行つて取材し、日本共産党機関紙や診断所ニユースを調査した外、情報屋ないし日本共産党員と自称していた者等から情報を集めた。

(2)  真島は前記の当局から日本共産党員が診療所にいて活動しており昭和二十七年のメーデー事件などの騒乱事件に日本共産党の救護班がいたということを聞きその裏付となる写真も見せて貰つたが、前記の当局もこれを赤い衛生兵と呼び、他の新聞にもこれと類似の表現を用いた記事が掲載されていた。又大阪大学で日本共産党員が細菌を盗んだらしいという情報があり、前記の当局も日本共産党員が大阪で赤痢菌をばらまいたらしいといつており、共同通信の中には日本共産党が細菌戦術を決定したらしという情報があつた。その頃日本共産党の機関紙には本件記事にあるようなスローガンが掲げられており、西荻窪診療所ニユースの中にはメーデー事件における警察官の行動を非難する記事があつた。他方真島は代々木診療所が日本共産党の下部機構であると一般からみられていた民主的医療機関連合会の中心的存在として活動しているという情報を入手したが、みずから代々木診療所に行つて調査することはしなかつた。(代々木診療所長佐藤猛夫が日本共産党員であることを真島が知つたのは、本件記事発表後原告から抗議を受けてから後のことであつた)

(3)  真島はこれらの事実を総合して本件記事の原稿を作成して編集部に提出したところ、被告栗原は本件記事の真実性及びその基礎となつた情報の正確性について何ら調査をすることなく一部の字句を修正しただけで本件記事の編集を終え、これを昭和二十七年六月五日付の日本夕刊紙に掲載して発行した。

(4)  当時代々木診療所は民主的医療機関連合会に加入しており、その理事及び職員中には理事で診療所長を兼ねていた佐藤猛夫の外若干の日本共産党員がいたけれども、代々木診療所の理事及び職員がこれと同様の思想的政治的傾向をもつ人だけで占められていたわけではなく、その職員十数名が昭和二十七年のメーデーに参加したが暴行事件を起したことはなかつた。

(四)  しかしながら、日本共産党に医療団があつて民主的医療機関連合会がその下部機構であること、同連合会の構成員である診療所及び医院がその下部組織となり、原告がそのリーダーであつて日本共産党の指令を横に流していること、これら診療所及び医院の医師等(いわゆる赤い衛生兵)の組織の中には細菌班があつて、日本共産党のねらいである暴力革命に際しては細菌をばらまき国民を殺りくする計画をたてていることについては、これを認めるに足りる証拠がない。従つて、本件記事の主要部分を形成するこれらの事項について真実であることの証明がない以上、被告らの抗弁は他の点を判断するまでもなく排斥を免れない。

第二点

一、被告栗原一夫の責任

(一)  名誉毀損における故意とは自己の行為が他人の名誉を毀損するおそれのあることの認識を指称するものであり、被告栗原がかような認識を有していたことは被告栗原本人尋問の結果に照し明らかである。

(二)  被告栗原は相当の客観的資料に基き真実と信じた事実及び情報提供者から獲得した情報をそのまま報道したのであつて、真実と信じたについて相当の理由があるから故意はないと主張する。しかしながらさきに認定したように取材記者の真島は当局からの取材及び第三者からの情報に基いてみずからその真否を確かめることなく原稿を作成したものであり、被告栗原もまたその情報の正確性について何ら調査をすることなく一部の字句を修正しただけで本件記事を作成したのである。そればかりでなく、当局からの取材についてもその情報が疑う余地のない程度に正確であつたと認めるに足りる証拠はない。従つて、仮に被告栗原がこれらの事実を真実であると信じたとしても、そのように信ずるについて相当の理由があつたとはとうていいうことができない。してみれば、名誉毀損の故意について事実の真実性の認識を必要とするか否かという点について論議するまでもなく、被告栗原は故意の責任を免れることができないものといわなければならない。

(三)  また、同被告は客観的に信用のできる資料及び情報に基き表現にも十分注意して本件記事を編集したから過失もないと主張するけれども、この主張が採用に値しないことは、前記の説明によつて明らかであろう。

二、被告辛島重三の責任

(一)  被告辛島は当時日本夕刊新聞の編集印刷発行名義人であつたけれども、単にかような名義を使用させていたということだけでは名誉毀損に関する責任を負ういわれはなく、実質的に名誉毀損記事の掲載発行に関与した場合にはじめてその責任を負うべきものであるが、証人真島民雄の証言及び被告栗原一夫本人尋問の結果によると、「被告辛島は当時日本夕刊新聞の印刷工場長であつて編集には関係していなかつた」という事実が認められる。ところで印刷工場長が単に整理された原稿を印刷するにとどまらず、新聞の印刷及び頒布をするべきではないと考えたときにはこれを中止させることができる地位にあれば、不法行為上の責任を負うものと解すべきであるけれども被告辛島がこのような地位にあつたことを認めるに足りる証拠はないのみならず、同被告が特に本件記事を掲載した新聞の発行に関与した旨の立証もないから、被告辛島は本件記事による名誉毀損については責任がないものといわなければならない。

(二)  原告は被告辛島が承諾して編集印刷発行名義人と表示させていたことにより表示による禁反言の法理に基き原告に対して表示と同一の責任を負うべきものと主張するが、この見解は失当である。

表示による禁反言の原則は、英国衡平法において発達したものであつて、その趣旨は表示者が相手方に対してかつてした表示と矛盾する主張をすることを禁ずるものであるが、相手方がこの原則に依拠するためにはその表示に信頼したことによつて損害を受け又は、不利益に自己の法律上の地位を変更したことを要するものとされている。従つて、この原則を不法行為に適用し得るとするならば、それは被害者が表示行為に信頼したことによつて権利侵害の結果が発生したという因果関係の存在するときでなければならない。

本件についてこれをみると、原告が被告辛島の編集印刷発行名義人であるという表示に信頼したことによつて名誉毀損の結果が発生したという因果関係はないことが明らかであるから、本件の場合には表示による禁反言の原則を適用する余地がない。原告は被告辛島の表示行為に信頼して本件の訴を提起したことをもつて前記の要件をみたすと主張するもののようであるが、同被告の表示行為は原告がその表示に信頼して同被告に対して無用な訴を提起したことによる損害の賠償を求める理由となる余地はあつても、名誉毀損の責任を追及する理由とはなり得ない。

さらに原告は同被告が表示行為の効果を不注意にも認識しなかつた点に過失があると主張するが、前記の理由で同被告の表示行為が本件の名誉毀損の責任の基礎とならない以上過失を云々する余地もないから、この主張は採用することができない。

第三点

一、謝罪広告

以上に述べて来たところからすれば、被告栗原は原告の請求にもとずき毀損された原告の名誉を回復するために適当な処置をとる義務があり、その処置としては本件名誉毀損の態様から見て謝罪広告が最もこれにふさわしい。そしてその内容は、本件記事の内容、原告及び被告栗原の地位ないし身分等に鑑み主文第一項に掲げたとをりのものとするのが相当であると考える。

二、損害賠償

(一)  次に、原告は謝罪広告のほか無形の損害の賠償として金銭賠償を求め得ると主張し、被告は原告の求める金銭賠償は慰藉料のことであつて法人には慰藉料の請求権はないと争うので、この点を判断する。

いわゆる慰藉料とは精神上の苦痛をつぐなうための賠償をいうものであつて、法人は感情ないし感覚をもたないから、この意味における慰藉料の請求権を取得し得ないことは明らかである。しかしながら、民法第七百十条及び第七百二十三条の規定により名誉毀損の場合に認められる損害賠償は財産上の損害のほか財産以外の損害すなわち無形の損害に対する賠償をも含むものであつて、本件において原告の賠償を求める損害が財産上の損害ではなくて無形の損害であることはその主張自体によつて明かである。それでは、ここにいう無形の損害の賠償とは、果していわゆる慰藉料と同義語なのであろうか。

名誉が毀損されたということには、社会的評価としての名誉(客観的名誉)が侵害されたということと名誉感情(主観的名誉)が侵害されたということの二つの意味があり、自然人の名誉毀損の場合に通常この二つの侵害が併存することは疑のないところである。すなわち名誉侵害のために自然人が財産の取得を妨げられ又は財産を失つたとすれば、ここに財産上の損害を生ずるが、侵害が侵害として存する限りにおいて被害者がこれとは別に名誉感情を害われるとともに、社会的評価を傷つけられ、財産の取得と直結しない社会的活動の分野において理論的には金銭に換算することのできない損害を受けることは否定し得ない事実である。そして、法が名誉毀損の場合に財産上の損害のほかに無形の損害をも賠償すべきものとしたのはこの事実に着眼したからにほかならないと考えられるから、無形の損害賠償のうちには名誉感情の侵害に基く損害賠償すなわち自然人との関係で立言したいわゆる慰藉料とこれから区別さるべき社会的評価の侵害に基く損害の賠償とが含まれるものといわなければならない。

自然人の名誉毀損による無形の損害賠償は一般に名誉感情に着目して慰藉料と呼ばれているが、この場合にも法によつて保護される名誉感情は通常人が保持するものとされる名誉感情であるにとどまり、被害者自身の名誉感情がそのまま保護されるのではないのである。このことは賠償額算定の側面から見るとき極めて容易に理解することができる。従つて、自然人の名誉毀損の場合の無形の損害賠償を漫然と慰藉料の名で呼ぶことからして厳密にいえばすでに事態の正確な認識を妨げるものといつても過言ではないのである。ことを法人の場合にうつして考えて見ると、法人がいわゆる慰藉料の請求権を取得し得ないことは先に説明したとおりであるが、法人もまた一個の人格者であり社会的評価の対象として客観的名誉の主体であることは自然人と何ら異なるところはないから、法人がこの名誉を毀損された場合には当然にそれによつて被つた無形の損害についていわゆる慰藉料とは別個の損害賠償請求権を取得するものといわなければならない。

(二)  よつてその損害賠償の数額について考えてみると、本件記事の内容、原告及び被告栗原の地位ないし身分その他諸般の事情を考慮し、金十万円をもつて相当であると認められるから、被告栗原はこの金員及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十七年九月七日から支払のすむまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

(三)  被告は原告の理事及び被用者の政治活動によつて原告自体がそのような行為をしていたと見られ易い要因をもつていたという理由に基き過失相殺を主張しているが、民主的診療所連合会及び原告の理事で診療所長を兼ねていた佐藤猛夫が日本共産党の指令を流していたこと及び原告の理事及び被用者が政治活動をしていたことを認めるに足りる証拠はないのみでなく、原告に日本共産党員の理事及び被用者がいたことは本件の名誉毀損において何ら原告を責める事由に当らないのであるから、被告の過失相殺の主張もまた採用することができない。

第六、結論

してみると、原告の被告栗原に対する請求は以上に認定した限度において正当であるから認容するが、原告の同被告に対するその余の請求及び被告辛島に対する請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古関敏正 田中盈 宮脇幸彦)

別紙

新聞記事の内容

一、見出

躍る赤い衛生兵

都内で一千名待機

代々木診療所から指令を流す

黒幕に医学界の権威

二、上欄の解説記事

板橋署岩の坂交番襲撃事件から端なくも暴露した東京都養育院付属病院内の赤い看護婦事件は、取調べの進むにつれて全国的に赤い衛生兵を培養している日共の組織が明るみに出ようとしている。これら赤い衛生兵達の組織の中には細菌班と呼ばれる特殊な一組織まで作られており、日共の狙いであるゲリラ的暴力革命に当つて果すべき役割が決つており、その秘密指令まで伝達されていたと見られる節もある。今後事ある毎にこの赤い衛生兵の活発な動きがあると想定され注目されている。

三、下欄の報道記事

この衛生兵は日共中央指導部の外部団体である国民救援会の直接支配下にある「医療団グループ」の指示に基いて昭和廿五年春頃全国的に地方民主的診療連合会として結成されたもので、彼らが大衆の前に姿をみせたのは昨年の御嶽ハイキング事件からであるが、積極的に各種の不祥事件に動員されたのは五月一日のメーデー騒擾事件であり、その実態の一部を公然と大衆の前に現わしたのが例の岩の坂交番襲撃事件であつたといわれる。

彼等の組織は日共医療団のもとに京浜、阪神、東北など全国を数地区の民主診療所連合会に分け、下部組織として矢張り全国各地に五百カ所を上廻る診療所および個人経営の形をとつた医院をもち、ここに勤務する医師は勿論看護婦薬剤師に至るまでその全員が赤い衛生兵と呼ばれる共産党の有力党員若しくはシンパでもつて固められているという強力な組織になつている。

当局の調べによればこの下部組織である医療班のリーダーとして活躍日共中央指導部の指令を横に流しているのは佐藤猛夫氏の主宰する渋谷区千駄ケ谷の代々木診療所だといわれているが、蔭にあつて強い影響下にある者のなかには産児制限問題で知られている馬島[イ間]氏や、その他十数名の医学界の権威者も含まれているといわれている。その数は医師の肩書をもつものだけでも東京に二百七十名の党員若しくはシンパがおり、これに所属する看護婦を含めると優に一千名に近い赤い衛生兵を動員することが可能だと称されている。

(中間の見出)薬袋にスローガン

イザといえば細菌戦もやる

こうした党員およびシンパの獲得のためにはスローガンとして「ブルジヨア医療制度を破壊して人民を救え」をかかげ、大衆に対する宣伝方法としては「診療所ニユース」を患者に配布するの他「健康を守る会」なども作らせ、会員に対しては健康保険に加入している場合よりも更に低額な値段で施療を行い、薬袋の裏には決まつて「再軍備反対」、「吉田内閣打倒」などの標語も印刷してあるといつた巧みな工作を常に行つている。

彼らの役割として平時しかも一般的に考えられている表面の姿は以上の様なものだが、その真のねらいは今後更に頻発するであろうと予想される騒乱事件の際において党員の救護救出作業に当ることであるが、また場合によつてこれが豹変して細菌をバラまき国民を殺リクするという恐るべき計画も樹てているのだと当局ではいつておる。

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